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LAZY SMOKEY DAMN!
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音楽を中心に、ほぼ毎日のように書き綴っていくボンクラのブログ。
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イギー・ポップの新しいドキュメンタリー

2018/01/19 23:28
画像昨年遂に70歳を迎え、一方でTHE STOOGES/IGGY AND THE STOOGESのドキュメンタリー映画『ギミー・デンジャー』が各地で予想外のロングラン上映となったイギー・ポップ。
10年以上来日していないとあって一部ファンの熱狂が高まり、更に新しいファンも獲得し、という状況。
2018年になっても界隈のイギー熱は冷めず。
新しいドキュメンタリー映画の日本公開が決定した。

『アメリカン・ヴァルハラ』。
イギー・ポップが「最後のアルバムになるかも知れない」と示唆している2016年のアルバム『POST POP DEPRESSION』の制作過程、そしてリリースに伴うロンドンでのライヴまでを追ったというドキュメンタリー。
映画のタイトルは『POST POP DEPRESSION』の収録曲から来ている。

イギー・ポップ自身が自費でレコーディングに乗り出し、QUEEN OF THE STONE AGEのジョシュ・ホーミにプロデュースを依頼した『POST POP DEPRESSION』。
結果的に全米17位、全英5位と、イギーのキャリアでも最高のヒット作となった。
そのアルバムが出来るまでと、アルバムの内容に関わらず(?)いつでも爆裂してるイギーのライヴが収録されているというのだから、興味深くないはずがない。
しかも映画の監督はジョシュ自身(+アンドレアス・ニューマン)が務めているという。

個人的には、正直言うと一聴してあんまりピンと来なかった『POST POP DEPRESSION』なのだが。
元KYUSSのジョシュ・ホーミが、敢えてベルリン時代(『THE IDIOT』『LUST FOR LIFE』)のイギー・ポップのソロ・アルバムを意識して取り組んだというそのアルバム。
聴き込むほどに味わい深い。
一方でステージでは常に全力で暴れまわるイギー。
今年で71歳。
どんな映画になっているか、実に楽しみだ。
期待は裏切られないはず。

『アメリカン・ヴァルハラ』、4月14日(土)より、新宿シネマカリテにて公開。


(C)2018 Eagle Rock Entertainment Ltd.
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MOTORHEAD/White Line Fever(1976/78)

2018/01/18 22:20
画像MOTORHEAD、“黄金トリオ”時代の幕開けを告げた初音源…のはずだが、初のリリースとはならなかった微妙な1枚。

ラリー・ウォリス(ギター、ヴォーカル)が脱退して、レミーことイアン・フレイザー・キルミスター(ベース、ヴォーカル)、“ファスト”エディ・クラークことエドワード・アラン・クラーク(ギター)、フィル“フィルシー・アニマル”テイラーことフィリップ・ジョン・テイラー(ドラム)の3人が残ったMOTORHEAD。
そこにスティッフ・レコーズとのワンショットのリリース話が持ち上がる。
2曲が録音され、1976年12月のリリースが予定されていたが。
ラリー在籍時に契約していたユナイテッド・アーティスツの横やりが入り、予定は脆くも変更に。

2曲のうち「White Line Fever」は1977年4月にリリースされたオムニバス『A BUNCH OF STIFF RECORDS』に、「Leaving Here」は9月リリースの『HITS GREATEST STIFFS』に収録されて、とりあえず世には出たものの。
当初の7inchの形では、78年10月(79年説もアリ)リリースのスティッフ・レコーズのシングル10枚組に組み込まれる形でリリースされ、その後通販のみでようやく単体のシングルとして流通したらしい。
その間にMOTORHEADはチズウィックと契約していて、77年7月には“正式な“デビュー・シングルとなった「Motorhead」が、そして8月には1stアルバム『MOTORHEAD』がリリースされている。

そうしてスティッフでのシングルはMOTORHEAD史の本流から外れた鬼っ子として、後にレア盤化。
俺が持っているMOTORHEADの7inchでも一番高価かった。
確か4500円で買ったと記憶する。

スリーヴの表記では何故か「Leaving Here」が先に来ているが、レーベル面を確認すると「White Line Fever」がA面、「Leaving Here」がB面となっている。
「White Line Fever」は、“黄金トリオ”による最初期のオリジナル曲。
…というか、メンバー共作によるMOTORHEADのオリジナル曲としても最も初期のモノだ。
ラリー・ウォリス在籍時に録音された『ON PAROLE』では、全9曲中3曲がHAWKWINDのレパートリーのリメイク、1曲がPINK FAIRIESの代表曲のリメイク、3曲がラリーの提供曲(タイトル曲「On Parole」はラリーのソロでもレコード化)…といった具合で、意外なことにレミー単独や他のメンバーとの共作で書かれた“MOTORHEADとしての楽曲”は1曲もなかったのだった。
なので、レミーと“ファスト”エディ・クラークとフィル“フィルシー・アニマル”テイラーの共作による「White Line Fever」は、MOTORHEADが本当の意味でバンドとしてスタートを切った象徴とも言える。
『MOTORHEAD』収録のアルバム・ヴァージョンに較べるとガレージ的というか、ややRAWなサウンド。
それにしても、スロー・ミドルなテンポにも関わらず、なんと刺々しい演奏か。
“白線熱病”なるタイトルは、もちろんコカインのことだ。

「Leaving Here」は、モータウン黄金期を支えたソングライター・チーム“Holland-Dozier-Holland”の作で、その一員だったエディ・ホランド自身が1963年にリリースした楽曲(当時全米76位)のカヴァー。
MOTORHEADはラリー・ウォリス在籍時の初ライヴからこの曲を演奏し続けていたが、彼らの「Leaving Here」は65年のTHE BIRDS(ロン・ウッド在籍)のヴァージョンを下敷きにしている。
『ON PAROLE』収録のヴァージョンとはかなり違っていて、この時点で後のライヴ・ヴァージョンとほぼ同じアレンジになっているのが確認出来る。
フィル“フィルシー・アニマル”テイラーのなんとも独特なオカズのセンスは、こういう初期のレパートリーでより顕著。

2曲とも、この後1980〜81年頃までライヴで演奏され続ける重要なレパートリーとなった。
特に「White Line Fever」は、77年頃のライヴではセットの最後に演奏されている。
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疑惑のカタカナ

2018/01/17 23:44
画像↑上記のタイトルで何度か書いてるが、久々に。

故ホルガー・シューカイ(元CAN)のスペルはHOLGER CZUKAY。
当初のカタカナ表記は“ホルガー・チューカイ”。
現在では“ホルガー・シューカイ”が一般的。
しかし“ツーカイ”“シュカイ”説もアリ。
ウィキペディアでは、発音は“Shook-Eye”だ、みたいなことが書いてある。
じゃあ“シュッカイ”とか“シュカイ”?
うーん。
俺自身は原稿とかで“シューカイ”と書きつつ、実は“シュカイ”では?…と。

俺がロック聴いてなかった10代前半、FMや有線でやたらかかっていた大ヒット曲「Hearts」。
歌っていたのはマーティ・バリン。
(当時何故かポスター持ってた)
そのAORシンガー(?)・マーティが元JEFFERSON AIRPLANEのヴォーカリストだったと知ったのは、しばらく後のこと。
MARTY BALIN。
“バリン”じゃなくて“ベイリン”だよね。

ジョン・フォックス脱退後のULTRAVOXをポップ・スターに持ち上げたのはMIDGE URE。
このスペルでどうして“ミッジ・ユ−ロ”と表記されたんだろう。
どう見たって“ミッジ・ユーア”だよなあ。
下手すりゃ“ミッヂ・ユア”だ。

このブログではWHITESNAKEのDAVID COVERDALEを“デイヴィッド・カヴァーデイル”と表記しているが。
音楽誌とかでは“デヴィッド・カヴァデール”と表記している方が多い、気がする。
どうなんでしょう。

…で、最近の一番の悩みは、THE QUEENS OF THE STONE AGEのあの人だ。
JOSH HOMME。
“ジョシュ・オム”なの?
“ジョシュ・ホーミ”なの?
同じシンコーミュージックの雑誌やムックでも表記はまちまちだ。
俺自身は“ホーミ”と表記しているが…実に悩ましい。


前にも書いたけど、外国語の発音をパーフェクトにカタカナに置き換えるなんて不可能なのだ。
わかってはいる、わかってはいるんだが…。
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重金属46年

2018/01/16 23:57
画像俺にとっての三本柱、MOTORHEAD、イギー・ポップ、BLUE OYSTER CULT。
MOTORHEADは既になく。
(“ファスト”エディ・クラークが逝き、黄金トリオは全員あの世に)
THE STOOGES/IGGY AND THE STOOGESも終了が宣言され、イギー自身も引退を示唆し。

四半世紀以上オリジナル・アルバムのリリースがないBLUE OYSTER CULTは…実はいまだに現役ライヴ・バンドだ。
オリジナル・メンバーはエリック・ブルーム(ヴォーカル、ギター)とドナルド“バック・ダーマ”ローザー(ギター、ヴォーカル)の二人だけとはいえ。

そして2018年1月16日。
BLUE OYSTER CULTの1stアルバム『BLUE OYSTER CULT』が1972年1月16日にリリースされて、今日で46年。
(中途半端)

メンバーが元々入れ込んでいたTHE DOORSをはじめとするサイケデリックなロックに、BLACK SABBATHやアリス・クーパーといった当時のヘヴィなロックの影響を混ぜ合わせ。
(というか、BLACK SABBATHはモロにパクった)
それ以前にSTEPPENWOLFをはじめとする幾つかのバンドが歌詞その他に用いた“へヴィ・メタル”を、自身の音楽性を標榜する用語として初めて前面に出し。
結果として“元祖へヴィ・メタル”の称号を手に入れたバンド…の、デビューから46年。
(しかしバンドにはそれ以前から、SOFT WHITE UNDERBELLY〜OAXACA〜THE STALK-FORREST GROUPを経ての歴史があったのだが)

『BLUE OYSTER CULT』がリリースされた時点で“へヴィ・メタル”という語が用意されていただけで。
ジャンルとしてのへヴィ・メタルが確立していたワケではなかった。
(それには70年代末まで待つ必要があった)
しかしNew Wave Of British Heavy Metalの時期にBLUE OYSTER CULTが世に出した「Heavy Metal」の歪みに歪んだギター・サウンドには、へヴィ・メタルのオリジネイターとしての矜持が刻まれていたと思う。

ともあれ、かつてIGGY AND THE STOOGESともMOTORHEADとも対バンしたBLUE OYSTER CULTは、今も現役だ。
契約さえ得られれば、新作も夢ではないはず。
待とうじゃないか。
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Les Rallizes Denudes/黒い悲しみのロマンセ或いはFallin'…(1996)

2018/01/15 21:35
画像元々は全然違うレコードについて書くはずだったのだが。
ここ数日の気分に沿うモノではなく。
そこで変更した結果がコレとは、自分でちょっと笑ってしまったりもするのだけど。

コレは裸のラリーズのリリースの中で唯一の7inch、らしい。
ただし、元々シングルとして発売されたモノではない。
1996年に発売されたetcetraという雑誌の第2号に付録として付いていたレコード。
もちろん水谷孝の許諾を得た…というか、水谷本人が音源を提供して出来上がった1枚。
本の巻頭では30ページほどの裸のラリーズの特集(テキストはわずかで、ほとんどが写真)が掲載されていた。
そしてetcetraは、その2号で終わったと記憶する。
今でもレコードのみが中古で売られていたりすることがある。
先日ネットで見かけたのは、7000円ぐらいの値が付いていた。
まあ音だけなら、今やネット上でタダで聴くことも可能だが。

例によってウェブリブログの字数制限にひっかかってしまっているが、A面曲は「黒い悲しみのロマンセ或いはFallin' Love With」。
1991年にリリースされた正規盤CD3枚のうちのひとつ『MIZUTANI』にも「黒い悲しみのロマンセ Otherwise Fallin' Love With」というタイトルで収録されていた曲。
ライヴでは73年頃から演奏されていたらしい。
いかにも裸のラリーズらしい、シンプルで催眠的なリズム・セクションに乗せて、水谷孝の歌が浮遊し、歌が終わるとギターのフィードバックが唸りを上げ…始めたところで残念ながらフェイドアウトする。

裸のラリーズについては批判的、あるいは否定的な意見を目にすることもたまにある。
しかし、シンプルにもほどがある上にちっとも展開しない反復ビート、それに絡むデタラメなまでに暴力的で美しいギター…どの曲も同じような要素で構成され、そしてキャリアを思えば異常なまでに少ないレパートリーのほぼすべてがいつまでも耳に、脳裏に残るリフやメロディを持っている。
こんなバンドはそうざらにあるモノじゃないだろう。

B面は「永遠に今が」。
80年代までの音源でこの曲名を見かけた覚えがないが、90年代に入ってからの新しいレパートリーだったのだろうか。
これまたシンプルに過ぎるリズム、しかしここでは冒頭からノイジーなギターが存分に炸裂する。
そして“幾つもの永遠を横切って/幾つもの鏡をあとにして/幾つもの海を横切って…”と始まる、歌とも言えないような(?)歌。
考えてみると、演奏のリズムや小節数をまるで無視するかのようなこの歌だからこそ、曲の進行・展開と歌がズレたりすることがないよう、ベーシックなリフを超シンプルにしているのかと思ったりも。
ともあれ歌い終えると再び爆発的なギターソロが続き、突発的に音が途切れて終わる。

以前1977年のライヴ盤について書いた時、96年10月4日に川崎CLUB CITTAで裸のラリーズのライヴを観た話をしたが。
現時点で、裸のラリーズ名義でのライヴはアレが最後となっているのだそうで。
今更ながら、えらいモノを観たのだなあと思う。
それからこの秋で22年となる。
3年ほど前に活動再開が噂されたこともあったものの、水谷孝自身が流しているとされる音源が市場に溢れる一方で、再活動が実現する/決定したという話は聞かない。
水谷は48年生まれというから、今年で70歳…。
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そして誰もいなくなった

2018/01/13 21:55
画像一昨日アルフレッド・モリス3世と藤岡幹大のことを書いたブログをアップした、その直後のことだった。
“ファスト”エディ・クラークの訃報を知ったのは。
ただ愕然とするしかなかった。

10日に肺炎で逝ったという。
享年67歳。
先月のBURRN!にインタヴューが載ったばかりじゃないか。
一体何が。

以前にも書いたと思うが、俺が初めてMOTORHEADを聴いたのは1984年。
NHK-FMで流れた「Killed By Death」か「Over The Top」のどちらかだった。
今となってはどっちだったのか記憶が定かでないが、“ファスト”エディ・クラークを含む、いわゆる“黄金トリオ”の曲で初めて聴いたのが「Over The Top」(ライヴ・ヴァージョン)だったのは間違いない。

初めて買ったアルバムは『BOMBER』(1979年)の中古LP。
正直、今ひとつ食い足りなかった。
それですぐにVENOMに流れたが、そんな俺を引き戻したのが『ACE OF SPADES』(80年)だった。
以来コツコツとアルバムを集め続け。
それらを繰り返し聴き続けるうちに、『BOMBER』の魅力も体に染み込んでいった。

“ファスト”エディ・クラーク。
MOTORHEADが“公式に”レコード・デビューを果たした時点で、ギタリストは2代目のエディだったワケだが。
初代ギタリストであるラリー・ウォリスがそのまま在籍していたとして、MOTORHEADは今のような存在になっただろうか。

最初から最後までバンドを牽引して、ベースを弾いて歌い続けたレミー…彼こそがMOTORHEADであったということももちろん間違いない。
しかし、レミーのヴィジョンを具現化して素晴らしいリフとソロを生み出し続けた“ファスト”エディ・クラークあってこその黄金トリオ、でもあった。
(もちろん“フィルシー・アニマル”テイラーの暴走ドラムも)
ブルーズに根差しつつも当時としては非常識にスピーディーだったリフ。
「We Are The Road Crew」あたりに顕著な、時にノイズの塊と化す歪みとフィードバックを押し出したソロ。

当時の“ファスト”エディ・クラークのプレイが“レミーのヴィジョンの具現化”だったことは、MOTORHEAD脱退後のエディが二度とMOTORHEAD的な音楽を聴かせなかったことからも明らかではある。
それにしても黄金トリオの化学反応はまさに錬金術と言えるモノだった。
そしてもちろんFASTWAYにも良い曲や良いプレイはあったワケで。
下手ながら独特な味のあるヴォーカルも、俺は好きだった。

3種類あった「No Class」7inchは、もちろん全種類買い集めた。
ブートやら得体の知れないライヴ盤やら編集盤やらも、可能な限り買っていた。

MOTORHEAD自体はへヴィ・メタル・バンドでもパンク・バンドでもなく、最初から最後まで爆走するR&Rバンドであり続けたが。
黄金トリオがNew Wave Of British Heavy Metal以降のメタル(スラッシュ・メタルやブラック・メタルも)や、G.B.Hをはじめとするハードコア・パンクに与えた影響は今更言うまでもない。
しかし黄金トリオは一人もいなくなってしまった。
遂に歴史の中の存在になってしまった。


そして誰もいなくなった。
だが音源は残る。
黄金トリオの、そしてMOTORHEADの存在は、彼らを愛する人間がいつか完全に死に絶えるまで思い出され続けるだろう。
今夜は『ACE OF SPADES』を聴いている。
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黒いアイオミ逝く

2018/01/11 20:43
画像アルフレッド・モリス3世逝去のニュースにはびっくりした。
10日、死因は不明。
享年60歳。

IRON MANのリーダーでありギタリスト。
人呼んで“黒いアイオミ”。
2ndアルバム『THE PASSAGE』(1994年:画像)はこのブログでも紹介した。

“Blacker Than BLACK SABBATH”と言われたIRON MANだが。
比較的アップテンポでメタリックな曲が多かったし、歴代ヴォーカルもオジー・オズボーンよりロニー・ジェイムズ・ディオに近いタイプで。
ドゥーム・メタルと呼ばれながらも初期のBLACK SABBATHのようにドゥーミーではなかったと思う。
しかし、アル・モリス3世のリフやソロを抜き出すと、まさに“黒いアイオミ”だった。
下手すりゃトニー・アイオミ以上にアイオミっぽい(?)というレベルの。

アル・モリス3世、まだ60歳だったのか。
70年代前半にFORCEを結成した時は10代だったということになる。
1988年にIRON MANを結成した時点で29歳か30歳。
トニー・アイオミが来月70歳。
60歳…まだまだやれる年齢だったはず。


藤岡幹大の訃報にも驚かされた。
5日、享年36歳。
12月30日、天体観測中に転落したとのこと。

BABYMETALを支えた“神バンド”のギタリスト。
それ以外だと、いわゆるミュージシャンとして以上にギター講師としての印象が強い。
各種ギター誌で引っ張りだこで、昨年俺が仕事したYOUNG GUITARのプログレ特集にも登場していた。

それにしても36歳とは…。
何歳だから大往生、何歳だからもったいない、ということはないのだと常々言っては来たが。
それでも惜しまれる。
BABYMETALがいつまで“BABY”でいられるかわからない以上、(多分)そう遠くないはずの最後まで付き合ってほしかったと思う。


毎年冬場は訃報が多い気がするが。
今年も次々逝ってしまうな…。
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