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LAZY SMOKEY DAMN!
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音楽を中心に、ほぼ毎日のように書き綴っていくボンクラのブログ。
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THE PRISONER/名もなき世代-EMANONAGE-

2017/09/19 22:14
画像THE PRISONER、前作『PRISM』から1年ぶりとなる8thアルバム。

相変わらず、1曲目から“らしい”。
THE WHO「Baba O'Riley」を思わせるシンセのイントロから、THE ROLLING STONES「Satisfaction」+BAY CITY ROLLERS「Saturday Night」(いや、RAMONESか?)みたいなリフとコーラス。
以下、随所に聴いたようなフレーズを盛り込みまくる。

タイトに疾走する演奏陣は、ずしりとヘヴィかつファット。
そしてJUNICHILOWの、朗々として説得力抜群なヴォーカル。
それに絡むNANA GNAR GNARのキュートかつパワフルな声。

「パンクじゃない」という批判を受けて来たらしいけど、現在のTHE PRISONERは最早ジャンルなど問わない感じの堂々たる“日本語ロック”。
もちろんメンバーには、パンクに対するこだわりは並々ならずあると思うが。
それにしても相変わらずの、力強く前向きな歌の数々。
イントロダクション的な1曲目「THEMA OF THE PRISONER 2017」(これまたなんと堂々たるタイトル…)に続く「燃え尽きるまで」から“死ぬまで生きろ 死ぬまで生きろ 死ぬまで生きろ”だもんなー。
以下、“僕等の夢は叶っていく”と歌われるラストの「BEAUTIFUL DAYS」まで、終始一貫。

ところで既に「愛しのレミー」のMVが公開されていて、女装姿のメンバーに絶句だが(笑)。
このレミーは、もちろんあのレミー。
このバンドがレミーのことを歌にするとはちょっと意外だったけど、MOTORHEADの曲名や歌詞をちりばめた日本語詞には思わずグッときます。
で、何故女装(笑)。

あと、今回カヴァー曲が2曲入っていて。
1曲はTHE EQUALSの「Police On My Back」。
THE CLASHでお馴染みのアレ。
いかにもTHE PRISONERらしい味付けでカヴァーしてるんだけど。
びっくりしたのはもう1曲。
ジョン・デンヴァーの「Country Road」。
その選曲だけでもびっくりだが。
なんと宮崎駿が歌詞を書いた、映画『耳をすませば』のヴァージョン!
ロックなアレンジで、あの歌詞をNANA GNAR GNARが歌うのであります。
宮崎駿は何と言ったかな。

何処までもストリートに根差した真摯な歌を伝え続けるTHE PRISONER。
アルバム・タイトルにある“EMANON”、逆さに読むと“NO NAME”。
名もなき世代…“Blank Generation”や“Generation X”なんかに通底する感覚を彼ら流に表明したタイトルか。


『名もなき世代-EMANONAGE』、20日リリース。
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復帰と新加入

2017/09/18 21:33
画像映画『地獄に堕ちた野郎ども』を観る限り、現状のTHE DAMNEDは一枚岩…のような印象だったので、ステュ・ウエスト(ベース)の脱退にはちょっとびっくりした。

しかし、もっとびっくりしたのは、後任のベーシストが…ポール・グレイ?
なんと。
限りなく『BLACK ALBUM』(画像)のラインナップに近付くではないか。

コレでラット・スキャビーズが復帰すれば…と思うファンは多分たくさんいると思うんだけど。
しかしそればっかりはないだろう。
離合集散を繰り返したTHE DAMNEDだが、これまた『地獄に堕ちた野郎ども』を観る限りは、オリジナル・メンバー4人、デイヴ・ヴァニアン&キャプテン・センシブル組とブライアン・ジェイムズ&ラット組の溝は深そうだ。

それにしても、ポール・グレイか。
90年代末ぐらいにEDDIE & THE HOT RODSを脱退して以降、最近は何をしてたのか知らない。
その間に世の中では“ポール・グレイ”といえばSLIPKNOTのベーシスト(故人)という認識になってしまっていたけど。
あのベース・プレイが今でも健在なら、アンサンブル的には期待出来るのではないでしょうか。


一方、2ヵ月くらい前だったか、FLAMIN' GROOVIESの新ラインナップがアナウンスされたけど。
驚いたのは、そこにトニー・セイルズの名前があったこと。
えー、トニー?
元TIN MACHINEの?

ところが。
トニー・セイルズはFLAMIN' GROOVIESのドラマーとなっていて。
あれ?
セイルズ兄弟は、ハントがドラムでトニーはベースじゃなかったっけ?
ベースにコンバートしたの?

…とか思ったら、息子?
画像を検索してみたら、確かにセイルズ兄弟によく似た若いドラマーが。
ってか、紛らわしいよ!
親たちはどうしとるかね。


俺が若い頃好きだったミュージシャンも、どんどん還暦を超え。
下手すりゃ70歳を超え。
しかしまだまだ元気な人も多い。
一方で息子の世代もどんどん出てきて。
俺が生きてる間に、孫の世代の台頭とかも見られるんだろうか。
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フライヤー開陳:OM

2017/09/17 20:44
画像SLEEP解散後の2004年にアル・シスネロス(ベース)とクリス・ハキアス(ドラム)が結成したOM、来日時のフライヤー。
この時点ではクリスが脱退していて、ドラマーはエミル・アイモスだった。
渋谷O-NESTに観に行った。

それにしても…写真もあるけど、字がやたら多いフライヤー。
表にアーティスト写真、裏に解説文というフライヤーはよくあるけど、コレは表だけびっちり使って写真と文章を詰め込んである。
SLEEPや、マット・パイク(ギター)のHIGH ON FIREに較べたら、知名度や話題性の点で不安があると思ったかな。
テキストで往年の小錦ばりに(?)プッシュしております。

傑作3rdアルバム『PILGRIMAGE』(2007年)リリースの翌年。
俺もDOLLで紹介したはずだけど(記憶が定かでない)、当時国内でどれくらい評価されていたのかは、正直よく知らない。
ハコがO-NESTというあたりで想像するしかないか。
海外ではとにかく高評価だったのだが。

暗かった。
音が、じゃなくて、会場が。
もの凄く暗くて、OMの二人が全然見えなかったと記憶する。
音の方はベースとドラムの最小編成による、シンプルでミニマルな反復リフを中心としたドゥーミーかつサイケデリックなヘヴィ・ロックだったが、不思議と暗い感じはしなくて。
暗くはないんだけど、とにかく重かった。
そして、アル・シスネロスのお経のようなヴォーカル。
前年のSUNN O)))みたいな圧倒的な体験ではなかったものの、コレはコレである意味法悦、という感じのライヴだったな。


…でも今SLEEPまたやってんだよなあ。
あの『JERUSALEM』から既に20年以上経っている。


追記:
…とか言ってたらSLEEP来日!
(2017.9.20)
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NEU!/NEU! 75(1975)

2017/09/16 21:08
画像NEU!については、ずっと以前にライヴ盤(実はライヴじゃなくてリハーサル音源)を紹介したが。
こちらはLA DUSSELDORFとの橋渡しとなった3rdアルバムにして(70年代の)ラスト・アルバム。

それにしても、アルバム3枚のジャケット・デザインが基本ほぼ一緒というのがまず最高。
ダダというかポップ・アートというか。
中身はアルバム3枚通してクラウス・ディンガー(ドラム)とミヒャエル・ローター(ギター)の(加えてプロデューサー、コニー・プランクの)音楽実験室であり続けた。

3枚目にして、実験室には新たな素材と新たなメンバーが。
まずLPのA面ではミヒャエル・ローターのピアノやシンセサイザーがギター以上にフィーチュアされ。
1曲目「isi」が1stアルバム「Hallogallo」のポップ風展開という印象なのに対して、3曲目「Leb Wohl」ではアンビエントに接近。
もっとも、アンビエントと言うには多分にメランコリックでもあり。
そして、やっぱりサイケデリック。
2曲目「Seeland」と並んで、この時点で後のミヒャエルのソロを予感させたりもする。
CLUSTER+ミヒャエルによるHARMONIAに近い部分も。

一方B面ではトマス・ディンガーとハンス・ランペのツイン・ドラムをフィーチュア。
何よりぶっ飛んだのは1曲目「Hero」だ。
クラウス・ディンガーのヴォーカルとギターを前面に出したそのサウンドは…まるでSEX PISTOLSじゃないですか。
初めて聴いた時は本当にびっくりした。
この時点で1975年…SEX PISTOLSはまだ結成されたばかりだ。
この人たち、本当に早かった。
ジョニー・ロットンへの影響は、あったはず。

B面2曲目「E-Musik」は、既にLA DUSSELDORFそのものという感じ。
よりプリミティヴなLA DUSSELDORFといった趣で。
フランジャーをかけて浮遊しまくるツイン・ドラムがひたすらカッコいい。
そしてラスト「After Eight」では再びパンク・ヴォーカルと突進ドラムで駆け抜ける。
ギターのジャキジャキぶりは「Hero」以上。

…というワケで、A面がミヒャエル・ローター・サイド、B面がクラウス・ディンガー・サイドとも言うべき作りになっている。
方向性の違いは分裂せざるを得ないところまで来ていて。
結局この時のNEU!からミヒャエルが抜ける形で、残る3人によってLA DUSSELDORF結成。
その時点でもまだ1976年。
パンク・ムーヴメントがようやく始まるかという時に、完全にニュー・ウェイヴ以降を先取りしたような音。
70年代のクラウスは、オーパーツのような音を作り続けた人だったな。
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You Don't Know If I'm Sad

2017/09/14 20:53
画像グラント・ハートが今日亡くなったという。
ついさっき知った。
NMEあたりのサイトにニュースが上がったのが4〜5時間ほど前で。
英語版のWikipediaはもう更新されていた。
癌だったのか。
享年56歳。
まだ56…。

言わずと知れたHUSKER DUのドラマー。
そしてボブ・モウルド(ギター、ヴォーカル)と並び立つソングライター。
HUSKER DU解散後、俺は何故か(?)ボブ/SUGARの方に入れ込んでしまい、NOVA MOB以降のグラント・ハートはさっぱり御無沙汰だったのだが。
しかし、俺がHUSKER DUのレパートリー中で一番好きな「Don't Want To Know If You Are Lonely」(このブログでも12inchを紹介)は、グラントの曲だ。

自身のファストでタイトなドラムとボブ・モウルドのハードでラウドなギターに、この上もなくポップかつメロウなメロディを乗せ。
後のメロコアだけでなく、ギターポップあたりにも影響は大きかったと思う。
特に80年代末〜90年代前半の英国メロディック・パンクへの影響は絶大で。
LEATHERFACEやMEGA CITY FOURをはじめとして、衣鉢を継ぐようなバンドがうじゃうじゃいたっけな。
MEGA CITY FOURがカヴァーしていた「Don' Want To Know If You Are Lonely」も忘れ難い。

それにしても、56歳か。
HUSKER DUが解散したのが、ちょうど30年前の1987年。
当時まだ26歳だったということに。
1stアルバムの時点で20歳…!


グレッグ・ノートン(ベース)は、HUSKER DU解散後に音楽をやめてレストランのシェフをやっているとかいう。
(HUSKER DU時代からそういう顔だったよなー)
ボブ・モウルドには長生きして頑張ってほしいもんだと思わずにいられない。
RIP.
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フライヤー開陳:MONO MEN

2017/09/13 21:10
画像1993年6月、ワシントン州ベリンガムのガレージ・バンド、MONO MEN来日。
もう23年も前か。
来日告知のフライヤーが、きれいな状態で保存してあった。

招聘元は当時西新宿の外れの外れで営業していた輸入レコード店・BARN HOMES。
(今は店舗をたたんで飯能市に引っ込んだけど、通販専門店として健在)
俺がBARN HOMESに出入りするようになって1年か2年経った頃のことだった。

札幌に住んでいた80年代は、ジョニー・サンダースやウィルコ・ジョンソンやリチャード・ヘルをBESSIE HALLのような小さいハコで観ていたモノだったが。
1990年に北海道を離れて以降は、MOTORHEADを中野サンプラザで、SONIC YOUTHを渋谷公会堂で、といった具合。
海外のバンドを都内の小さなハコで観たのは、確かこのMONO MEN来日が最初だったように記憶する。
新高円寺RITZ(現・CLUB LINER)。
以後、海外のインディペンデントな(マイナーな)バンドを小さいハコで観ることが増えて行ったのだった。

それにしても手作り感がイイですね、このフライヤー。
“これを見逃したら見るものは他にないのでは”という手書きの文章が実に熱いです。
おっそろしくフォトジェニックじゃないバンドだったので(笑)、メンバー写真とかを使わないデザインでむしろ良かったと思う。

“ガレージ・バンド”と書いたけど、MONO MENはMUDHONEYなんかとはまた違った方向でガレージとグランジの中間を行くようなバンドで。
ライヴはとにかく音がデカくてへヴィだったのを覚えている。
(シアトルで彼らのライヴを観たBARN HOMES吉原氏の話では、それでもアメリカでのライヴに較べたらかなり小さい音だったというが)
1993年というと俺は前橋市に住んでいて、ライヴを観て新宿のホテルに一泊したのだけど。
翌朝チェックアウトしようとしたら、MONO MENの4人がホテルのロビーにいたのにはびっくり。
同じホテルに泊まっていたのだ…。

バンドは90年代後半に解散。
デイヴ・クライダー(ギター、ヴォーカル)がその後結成したTHE DT'Sも、そのうち名前を聴かなくなり。
ともあれ俺はMONO MEN来日の翌1994年春にTHE DEVIL DOGS2度目の来日ライヴを観て、当時進行形だったアンダーグラウンドなパンク/ガレージ/R&Rにどんどんハマって行くことに。
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MC5/DO IT(1987)

2017/09/12 22:42
画像珍盤。

フランスのリヴェンジ・レコーズから発掘リリースされた、MC5のライヴ音源。
1971年、デトロイトのMY FAIR LADYでのライヴで、メンバーはもちろんロブ・タイナー(ヴォーカル)、フレッド“ソニック”スミス(ギター)、ウェイン・クレイマー(ギター)、マイケル・デイヴィス(ベース)、デニス・トンプソン(ドラム)の5人。
「Back In The U.S.A.」「Looking At You」「Tutti Frutti」といった収録曲からも2ndアルバム『BACK IN THE USA』(70年)リリース後のライヴと思われ。
更に「Rock'n'Roll Pips」「Unknowed Rock」という未発表曲、THE ROLLING STONESのカヴァー「19th Nervous Breakdown」も含み。

音質は良好。
演奏は『KICK OUT THE JAMS』(1969年)に較べると軽く。
『KICK OUT THE JAMS』収録曲のアレンジもかなり違っている。
『BACK IN THE USA』のサウンドからしても、当時のMC5のライヴはこんな感じだったのだろうなと納得出来た。

ともあれリリース当時はかなり話題になった。
レコードコレクターズの1987年のリイシュー盤ベスト10にも入っていたし。


ところが。
5年後に全部ひっくり返る。
1992年にアメリカのレーベル・NKVDからリリースされたROB TYNER BANDのライヴ盤『DO IT』が、87年にMC5名義で出た『DO IT』と同じ内容だったのだ。
ROB TYNER BAND、1975年の演奏だという。
…未発表曲の存在も、アレンジやサウンドの違いも、THE ROLLING STONESのカヴァー(ロブ・タイナーはMC5のメンバー中で一番のSTONESファンだった)も、すべて合点が行った。
『DO IT』は、MC5の未発表ライヴ音源なんぞではなかったのだあああああ。
リヴェンジ盤の『DO IT』には、プロデューサーとしてデニス・トンプソンの名前がクレジットされていたというのに…。
(NKVD盤『DO IT』のプロデューサーはロブとなっていたが、ロブは91年に亡くなっているので、このクレジットも疑わしい)

ただし、この『DO IT』をMC5のライヴと言ってしまうことは不可能ではない。
…というか、このライヴは確かにMC5のライヴではあったのだ。
MC5は1972年に解散していたが、その後ロブ・タイナーがやっていたバンド(つまりROB TYNER BAND)は、大人の事情(笑)でMC5を名乗っていたのだった。
実際このアルバムでも、冒頭のMCで思いっきり“MC5!”とコールされている。
なので、コレをMC5のライヴと言うのは、間違いとは言い切れないのだった。

実際、内容は悪くない。
オリジナルのMC5に較べれば確かに軽い感じの演奏だが、何しろロブ・タイナーが往年のレパートリーを歌いまくっているのだから、以前紹介したロブ抜きのMC5のブート『KICK COPENHAGEN』に較べてもむしろMC5っぽいとさえ言える。
「19th Nervous Breakdown」もかなり出来の良いカヴァーだと思う。


オリジナルのMC5解散後、自身のバンドでMC5の名前を使い続けたのはウェイン・クレイマーが先だった。
ウェインが塀の向こうに行った後にMC5を名乗った(名乗らざるを得なかった)ロブ・タイナーのバンドは、いわば“三代目MC5”。
MC5という看板の大きさ、そして呪縛の大きさを思わずにいられない。
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