CAPTAIN BEEFHEART:牛ハツの魔法

CAPTAIN BEEFHEART.jpg 日付変わって、12月17日。我らがキャプテン・ビーフハートの命日だ。金正日の命日でもあるんだが(苦笑)、ココを御覧の皆様にとっては、なんといっても“将軍様”より“隊長様”でしょう(まあそうじゃない人もいるんだろうけど)。
 …ってなワケで、以下はDOLL誌2006年8月号に掲載されたキャプテン・ビーフハートに関する記事に、原型をとどめないレベルで大幅に加筆訂正したモノです。当時、パンクのルーツがどうちゃらとか言いながら、DOLLでキテレツ音楽博覧会みたいな記事を書いていた。そんな連載で取り上げた、60~70年代にかけてのキテレツロッカーの中でも間違いなく上位に位置するのが、キャプテン・ビーフハートだろう。小手先のアヴァンギャルドなんぞは遥か彼方に置き去りに、歪んだブルーズを咆哮し続けた隊長は、もういない。


 キャプテン・ビーフハート。本名ドン・ヴリート。1941年1月15日、カリフォルニア州グレンデイル出身。幼少時から彫刻をはじめとする美術に才能を発揮したという(5歳の時には既に彫刻家志望だったとか)。
 ヴリート一家はドンが10代半ばの頃に同じカリフォルニア州のランカスターに引っ越す。モハービ砂漠の中にあるその街でドンは高校に進学し、ブルーズやR&Bを愛好するようになる。その時に同じ学校にいたのが、(よりにもよって)あの有名なフランク・ザッパだった。二人の出会いは58年のことだったという。フランクと二人でブルーズやR&Bを聴きまくるうちに、ドンとフランクは自分たちでもバンドで活動するようになる。ドンはフランクのバンド、THE BLACKOUTSに加入。それぞれヴォーカルとギターで可能性を追求することに。この頃にドンは“キャプテン・ビーフハート”と名乗るようになったという。
 その後フランクがBLACKOUTSを脱退。バンドはキャプテン・ビーフハートを中心にTHE OMENSと名乗って活動する。

 60年代に入るとフランク・ザッパとキャプテン・ビーフハートは新たにTHE SOOTSで活動するようになるが、その後フランクがポルノ・テープを制作したとかで逮捕されて、一緒にバンドが出来なくなり、1964年頃、キャプテンは自身のグループ、CAPTAIN BEEFHEART & HIS MAGIC BANDを結成する。アレックス・セント・クレア(ギター)、ダグ・ムーン(ギター)、ジェリー・ハンドリー(ベース)、ポール・ブレイクリー(ドラム)というメンバーで、LAで活動を開始。ブルーズ/R&Bを斬新に解釈した独自の演奏と、ハウリン・ウルフをデフォルメしたように吠えまくるキャプテンのヴォーカルで、バンドはすぐに高い評価を受けるようになり、66年3月にはボ・ディドリーをカヴァーしたシングル「Diddy Wah Diddy」でA&Mレコーズからレコード・デビューを果たす。続く10月には同じくA&Mからシングル「Moonchild」をリリース。
 …「Diddy Wah Diddy」は、85年になってライノ・レーベルのコンピレーション『NUGGETS』シリーズの6番“PUNK, PartⅡ”に収録される(俺が初めてキャプテンの音を聴いたのが、コレだったと思う。オリジナル・アルバムは『TROUT MASK REPLICA』他が国内CD化された93年になってようやく買った)。このアルバムには他にTHE SHADOWS OF KNIGHTやTHE SEEDSなんかが収録されていて。そのへんと並べて聴くと、なるほど確かにガレージ・パンクの一種として聴くことも可能ではある、気がする。

 A&Mとはアルバム契約に至ることなく決裂したCAPTAIN BEEFHEART & HIS MAGIC BANDだったが、新たに“ドラムボ”ことジョン・フレンチ(ドラム:元MERRELL & THE EXILES)を迎えて、活動を継続。その後ブッダ・レコーズとの契約を得て、アルバムの制作に入る。そして1967年9月、バンドはデビュー・アルバム『SAFE AS MILK』をリリース(ダグ・ムーンに代わって、なんとライ・クーダーがゲスト参加。ただしキャプテン・ビーフハートとはソリが合わなかったらしい)。
 …最初のうちはブルーズ・ロックの変種として聴くことが可能(?)な展開ながら、キャプテン・ビーフハートの浪曲師みたいな歌声に導かれつつ聴き進むうちに、聴き手は奇妙にねじれた電気の泥沼にはまり込んでいく。LPのA面ラストの「Electricity」あたりから雲行きが怪しくなり…キャプテンのヴォーカルは荒れ狂い、ギターの音はねじれ、テルミンなどの怪しげな音が乱舞。フリー・ジャズ(オーネット・コールマンの影響は大きかったらしい)や民俗音楽の要素もぶち込まれた闇鍋状態(「Abba Zaba」なんて、タイトルからしてワケわからん)。
 キャプテン・ビーフハートは複雑怪奇なメロディやリズムをメンバーに歌って(というかメロディやリズムを歌ったテープを)聴かせて覚えさせ、レコーディングに臨んでいた、なんて話もある。その真偽はいまだ謎なものの、そんな話を信じたくなる異様な音楽が既にデビュー・アルバムの時点で提示されていた。そしてキャプテンの音楽はその後数年間、更にねじれていくことになる。

 『SAFE AS MILK』は、玄人筋では高評価だったが(ジョン・ピールが絶賛したという)、売れなかった。バンドにはその頃“モンタレー・ポップ・フェスティヴァル”出演の話が舞い込んだものの、ライ・クーダーが離脱したため出演をキャンセル。その後“アンテナ・ジミー・シーメンス”ことジェフ・コットン(ギター:元MERRELL & THE EXILES)を迎えたCAPTAIN BEEFHEART & HIS MAGIC BANDは、1967年10月に次のアルバムに向けてスタジオに入る。しかし『SAFE AS MILK』以上に黒く歪んだ音楽にレーベルは恐れをなしたか、セッションを録音したテープはお蔵入りとなってしまう。代わって、その後にレコーディングされた音源が(一応)2ndアルバム『STRICTLY PERSONAL』として68年10月にリリースされる。この時点で、直接的なブルーズの影響から脱しつつあるキャプテン・ビーフハートの更なるオリジナリティを聴くことが出来る。
 …キャプテンはレコード契約その他に無頓着な人だったらしく、CAPTAIN BEEFHEART & HIS MAGIC BANDのリリースはこの頃からどんどん混迷と錯綜の度合いを深めることになる。例えば『STRICTLY PERSONAL』は、バンドが英国ツアーに出ている間にプロデューサーのボブ・クラズナウが勝手にミックスして、しかもブッダ・レコーズではなく何故かブルー・サム・レコーズからリリースしてしまったモノだという。

 …話が更に前後する。このあと『TROUT MASK REPLICA』と『LICK MY DECALS OFF, BABY』がリリースされるのだが、そのあとの1971年1月になってブッダ・レコーズからようやくリリースされたアルバム『MIRROR MAN』。…それこそがお蔵入りになっていたはずの67年10月の…つまり本来の2ndアルバム用のセッションを、ブッダが(これまた)勝手に編集してリリースしたモノだったという。
 最初からちゃんと順番通りに出れば一番よかったとは思うものの、ともあれ『MIRROR MAN』は個人的にとても好きなアルバムだ。いきなり19分の「Tarotplane」から始まる、飛びきりヘヴィでどす黒くねじれた4曲はもの凄い破壊力。
 このアルバムはずっと後の99年になってから、同じセッションの未発表曲を加えた『THE MIRROR MAN SESSIONS』(画像)として再編集・再リリースされ、容易に入手出来るようになった。この時点ではまだジョン・リー・フッカー風のブルーズにハウリン・ウルフ風のヴォーカルを合体させてひん曲げたような、基本的にブルーズに根ざした音楽を演っているCAPTAIN BEEFHEART & HIS MAGIC BANDながら、それでもその奇形的なことといったらもうデビュー作の比じゃなかった。

 そして、イカレていたのは音楽だけじゃなかった。1966~67年頃にかけては一応ビート・バンド然とした(?)ルックスだったCAPTAIN BEEFHEART & HIS MAGIC BANDは、『STRICTLY PERSONAL』リリースの頃にはコスプレ状態のヘンテコな服装でも知られるようになる。多分にウケ狙いだったんだろうが、何しろ早くから規格外だったのがこのバンドだ(当時のバンド・メンバーの妙なステージ・ネームも、全部キャプテン・ビーフハートが勝手に命名したらしい)。
 ちなみに、この時期のバンドは、“作曲1ヵ月、リハーサル1年、録音1週間”というペースの活動だったらしい。実に恐ろしい…。

 …ともあれ、トラブル続きのレーベルやプロデューサー/マネージャーと離れ、“ズート・ホーン・ロロ”ことビル・ハークルロード(ギター:元B.C.& THE CAVEMEN)、アンテナ・ジミー・シーメンス(ギター)、“ロケット・モートン”ことマーク・ボストン(ベース:元B.C.& THE CAVEMEN)、ドラムボ(ドラム)という編成になったCAPTAIN BEEFHEART & HIS MAGIC BANDは、旧友フランク・ザッパがリプリーズ・レコーズ傘下で主宰していたレーベル、ストレイトと契約。1969年、フランクのプロデュースで(一応)3rdアルバム『TROUT MASK REPLICA』を制作する。LP2枚組の大作。タイトルは“鱒の仮面の複製”となっているが、ジャケットに写るキャプテン・ビーフハートが付けているお面はどう見ても鱒じゃなくて鯉だろう。
 …『MIRROR MAN』(この時点では出てなかったんだけど)まではブルーズ・ロックのしっぽを見せていたCAPTAIN BEEFHEART & HIS MAGIC BANDの音楽は、ここではリズムといいフレーズといい、およそ既存のロックのカテゴリーにあてはめることの不可能なモノになっている。『MIRROR MAN』のような、ブルーズに則った即興的な長尺演奏は聴かれなくなり、LP2枚組にみっちり詰め込まれた28曲(キャプテンは弾いたこともないピアノで8時間のうちに28曲書いた…とかいう話があったものの、どうも事実じゃないらしい)。どこまでもねじれていくギターと、ドラムボによるシンコペーションしまくった土俗ドラムを中心とするポリリズミックな演奏、その上で多分即興的に紡がれているキャプテンのマジカルな歌(ちなみに近所の家から、キャプテンの声で庭の木が枯れる、と苦情が入ったことがあるという…)。中でも、後にXTCによってカヴァーされるキャプテンの代表曲のひとつ「Ella Guru」でのすっ飛び加減は実に凄まじい。ちなみにこの頃、キャプテンはフランクのソロ・アルバム『HOT RATS』(69年)にも参加している。

 続いて1970年には、キャプテン・ビーフハート自らのプロデュースで(一応)4thアルバム『LICK MY DECALS OFF, BABY』をリリース(“CAPTAIN BEEFHEART & THE MAGIC BAND”名義)。『TROUT MASK REPLICA』と同系統の作品で、寸断された小曲がそれぞれにねじれまくって行く。コレも傑作。フランク・ザッパのバンドにいたアート・トリップ(前作でもゲスト参加)が“エド・マリンバ”と名乗って参加し、実際マリンバを叩く。
 一方で『TROUT MASK REPLICA』の高評価に便乗する形だったのか、71年1月になって前述の『MIRROR MAN』がブッダからリリースされる(リリース順では5thアルバムだが本当は2nd)。…しかし、玄人筋では好評だった『TROUT MASK REPLICA』も『LICK MY DECALS OFF, BABY』も(そして『MIRROR MAN』も)、当時商業的には全然ダメだったらしい(『TRAUT MASK REPLICA』は、全英チャートでは21位のヒットだったという。結局初期からバンド解散までキャプテンをリアルタイムで評価し続けたのは英国のファンだけだったということか)。

 『MIRROR MAN』がようやくリリースされた時点で既に30歳になっていたキャプテン・ビーフハートは、その後ストレイトからリプリーズ本体へと移り、録音→お蔵入りの試行錯誤を繰り返した挙句、『LICK MY DECALS OFF, BABY』から2年経った1972年に『THE SPOTLIGHT KID』(コレはCAPTAIN BEEFHEART名義)をリリース。更に、リプリーズ側のテコ入れだったのか、当時THE DOOBIE BROTHERS(!)を手がけ、後にMONTROSE(!)やVAN HALEN(!)を手がける有名プロデューサー、テッド・テンプルマン(元HARPERS BIZARRE)を迎えて、『THE SPOTLIGHT KID』と同じ72年に『CLEAR SPOT』をリリース(ここからは82年までずっと“CAPTAIN BEEFHEART & THE MAGIC BAND”名義となる)。
 この頃にはFRANK ZAPPA & THE MOTHERS OF INVENTIONのエリオット・イングバー(ギター)やロイ・エストラーダ(ベース)といった曲者が出入りしていたCAPTAIN BEEFHEART & THE MAGIC BANDだったが、一方でリズム・セクションがロイとエド・マリンバに交代した『CLEAR SPOT』(ロケット・モートンはリズム・ギターを担当)あたりではアヴァンギャルドさがやや薄れて、まっとうな(?)R&B色が強まり、ぐっとわかりやすくなったキャプテンの音楽だった。LITTLE FEATを感じさせる部分もあったりするのは、THE MOTHERS OF INVENSIONのあとLITTLE FEATに参加していたロイの存在を考えると、納得な気もする(『CLEAR SPOT』をプロデュースしたテッドは、同じ72年にLITTLE FEATの『SAILIN' SHOES』をプロデュースしている)。
 しかし…『THE SPOTLIGHT KID』はキャプテンのアルバムとして初めて(!)全米チャート入りしたものの、『CLEAR SPOT』はさっぱり売れず。キャプテンはリプリーズを離れることになる。

 …そしてキャプテン・ビーフハートはマーキュリー・レコーズに移籍。1974年には更にコマーシャル路線(?)を狙ったような『UNCONDITIONALLY GUARANTEED』をリリースするが、ここでズート・ホーン・ロロやエド・マリンバらTHE MAGIC BANDのメンバーがそろって脱退してしまう。
 バンドを抜けたメンバーたちはMALLARDを結成し、『MALLARD』(75年)、『IN A DIFFERENT』(77年)と2枚のアルバムをリリースしたしたものの、結局成功せず。フランク・ザッパのところを離反したメンバーたちのGERONIMO BLACKみたいなモノか。ジェフ・コットンはその後、かつて一緒にMERRELL & THE EXILESをやっていたメレル・ファンクハウザー(ギター)とMUを結成している。
 CAPTAIN BEEFHEART & THE MAGIC BANDは、タイ・グライムス(ドラム)をはじめ、新たにメンバーを補充。しかし、即席メンバーで制作途中だった音源を、マーキュリーが勝手に(またかよ)アルバム『BLUEJEANS & MOONBEAMS』(74年)としてリリースしてしまう。J.J.ケイルをカヴァーしていたりで、更にストレートになった感のあるアルバムは、やっぱり(?)売れず…。

 新メンバーによるCAPTAIN BEEFHEART & THE MAGIC BANDも立ち行かず、マーキュリーとのレコード契約も失った…そんな失意のキャプテン・ビーフハートに、ここで再びフランク・ザッパが手を差し伸べる。キャプテンは1975年4月からのTHE MOTHERSのツアーに参加する。75年6月リリースのフランクのアルバム『ONE SIZE FITS ALL』でもハープで参加。そして75年10月、ZAPPA/BEEFHEART/THE MOTHERS名義で、傑作ライヴ・アルバム『BONGO FURY』がリリースされる。フランクとTHE MOTHERSの複雑怪奇な演奏に乗せて、キャプテンのアクション・ペインティングみたいなヴォーカルが炸裂する名作(ドラムがテリー・ボジオだ!)。
 調子を取り戻したキャプテンはデニー・ウォーリー(ギター:元GERONIMO BLACK)らを迎え、改めてCAPTAIN BEEFHEART & THE MAGIC BANDを再編。75年にはドラムボが復帰した編成で英国をツアーしたり、翌76年にはフランクのアルバム『ZOOT ALLURES』に再びハープで参加したりしつつ、フランクのプロデュースでアルバム『BAT CHAIN PULLER』のレコーディングにかかるが、ここでまた契約関係がトラブって、その後またしても試行錯誤とお蔵入りの日々に…。

 結局、更なるメンバー交代を経て、ジェフ・モリス・テッパー(ギター)、エリック・ドリュー・フェルドマン(キーボード、ベース:後にPERE UBU)、ロバート・アーサー・ウィリアムズ(ドラム)を迎えた新編成のバンド(THE MOTHERSのトロンボーン奏者、ブルース・ファウラーも参加)により、『BAT CHAIN PULLER』を録り直したような形で、ワーナー・レコーズからアルバム『SHINY BEAST』がリリースされたのは1978年のことだった(キャプテン・ビーフハートはその間に、THE TUBESのアルバムにゲスト参加したりも)。マーキュリー時代には薄くなっていたキャプテンの怪しさとパワーが再び前面に出た好盤。既にパンク~ニュー・ウェイヴの時代が到来していて、ここに至り、コマーシャルなロックの約束事にとらわれないキャプテンのロックは好評で迎えられる。
 その後キャプテンはヴァージン・レコーズに移籍。80年にはゲイリー・ルーカス(ギター)を迎えて『DOC AT THE RADER STATION』をリリースする(ジョン・フレンチがゲスト参加)。その後“ミッドナイト・ハットサイズ”ことリチャード・スナイダー(ベース、ギター)が参加、ドラマーがクリフ・R・マーティネスに交代し、82年にはアルバム『ICE CREAM FOR CROW』をリリース。これらのアルバムも高い評価を獲得する。
 『ICE CREAM FOR CROW』の時点で、ジェフ・モリス・テッパーとゲイリー・ルーカス、二人のギタリストを中心とする、新たなCAPTAIN BEEFHEART & THE MAGIC BANDのアンサンブルが完成したか…に見えた。しかしそれも束の間、『ICE CREAM FOR CROW』をリリースした後、キャプテンは音楽活動をぷっつりとやめてしまうのだった。


 …『THE SPOTLIGHT KID』あたりまではなんとも不敵な面構えだったキャプテン・ビーフハートのルックスは、口ヒゲを伸ばすようになった『UNCONDITIONALLY GUARANTEED』あたりから急に老けた感じになっていた。『ICE CREAM FOR CROW』のジャケットでは、当時41歳とは思えない枯れ具合。七転八倒の音楽活動の中で、疲弊し切ってしまったのかもしれない。
 ともあれキャプテンは『ICE CREAM FOR CROW』を最後に“キャプテン・ビーフハート”の名を捨て、“ドン・ヴァン・ヴリート”の名で画家/彫刻家として生活するようになり、1985年に初の個展を開催している。その後もカリフォルニアの何処かの小さな街の、海のそばの家で隠者のように暮らしていたというが…結局2010年12月17日、この世を去る。69歳だった。多発性硬化症を患っていたという。
 90年代以降、キャプテンのアルバムは次々とCD化され、BOXセットやベスト盤、発掘ライヴ音源などもリリースされるようになった。その後、お蔵入りになっていた『BAT CHAIN PULLER』が正式リリースされる、という素晴らしい出来事があったものの、それはキャプテンの死から1年以上経った12年1月15日。…キャプテンが生きていれば71歳の誕生日、のことだった。


 活動していた当時はとにかく売れなかったキャプテン・ビーフハート…の音楽だが、オルターナティヴなロックがシーンの前面に出てきた80年代になると、その影響力は目に見えやすいモノとなってきた。今では乱発されている“トリビュート・アルバム”の類…それがブームのようになる以前にリリースされていた中の1枚に、キャプテンのトリビュート・アルバム『FAST ‘N’ BULLBOUS』(1988年)があった。SONIC YOUTHやXTCが参加していて、先に書いたXTCがカヴァーした「Ella Guru」は、特に絶品だ。あと、元BAUHAUSのピーター・マーフィーと元JAPANのミック・カーンが一時期やっていたDALI'S CARは、キャプテンの曲名から取ったんだろう。
 SONIC YOUTHあたりを筆頭に、80年代後半に日本で“ジャンク”とか呼ばれていたPUSSY GALORE(ジョン・スペンサー)周辺のバンドは、多くがキャプテンの影響を受けていただろうし、それ以前の…BIRTHDAY PARTY時代のニック・ケイヴやINUで活動していた頃の町田町蔵(現・町田康)なんかはモロという感じです(町蔵はカヴァーも演っていたらしい。ニックはインタヴューでキャプテンなんて聴いたことないとか言ってたらしいけど、絶対嘘だろう)。オージー勢への影響はニックに限らず幅広く、THE SCIENTISTSも「Clear Spot」をカヴァーしている。
 EDGAR BROUGHTON BANDやRUSTIC HINGEみたいに“キャプテン・ビーフハートへの英国からの回答”みたいな言われ方をするバンドが幾つかいて、アメリカよりもむしろイギリスの方がキャプテンからダイレクトに影響を受けたバンド/ミュージシャンが多いような気がするのは、なんだか興味深い。そういえばSEX PISTOLSのジョニー・ロットン(ジョン・ライドン)も、キャプテンのファンだったという。


 …ところで、『TROUT MASK REPLICA』他であれほど個性的な演奏を聴かせていた全盛期のCAPTAIN BEEFHEART & HIS MAGIC BANDのメンバーたちは、出戻りを繰り返したジョン・フレンチ以外、何故かほとんどシーンから消えてしまった。なんだかなあ(アート・トリップは『SHINY BEAST』に参加した後、カイロプラクティクスの仕事をしているというし、ジェフ・コットンはMU解散後、牧師になったという)。
 一方で後期~末期のメンバーはニュー・ウェイヴ期以降にリアルタイムで評価されていた強みか、その後も活躍を続けた人が多い。一般的に一番有名なバンドに入ったのは、初期のRED HOT CHILLI PEPPERSでドラムを叩いたクリフ・R・マーティネスか。ゲイリー・ルーカスは、一時期故ジェフ・バックリーと活動していたりも。
 ちなみに、2003年にはゲイリー・ルーカス(ギター)、デニー・ウォーリー(ギター)、マーク・ボストン(ベース)、ジョン・フレンチ(ドラム、ヴォーカル他)という新旧メンバーでキャプテン・ビーフハート抜きのTHE MAGIC BANDが“再結成”され、かつてのレパートリーを再録したアルバム『BACK TO THE FRONT』がリリースされている(俺は聴いたことないけど)。

 キャプテン・ビーフハート自身、画家に転向してからの方が生活は遙かに豊かだったというし。人生は、やっぱり簡単じゃないな。


(2021.5.14.全面改訂)

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この記事へのコメント

大越よしはる
2016年07月23日 22:47
TITLE: …?
毎度コメントありがとうございます。
ミュージシャン他の訃報に接し、このブログでもそれなりに沈痛なエントリーが何度かあったと思いますが、今回のその一文でそのような感想を持たれるとは、予想外でした。
正直「随分飛躍してるなあ…」と思いましたが、そのように思ってしまうのは“そういう感覚”(笑)の持ち主ということで、御容赦下さい。
Junji
2016年07月23日 22:47
TITLE: 無題
>>金正日の命日でもあるんだが(苦笑)

人が亡くなったのが面白いんですね。
そういう感覚をお持ちなんですね。
crescent1966
2016年07月23日 22:47
TITLE: Re: …?
話の流れで放った一言のみを抜き出して、一々コメントする人の気が知れませんね。まともに取り合うと疲れます。放っておきましょう。普通の人はビーフハートの興味深い逸話の方に興味があります。大変面白く読ませて頂きました。いろいろ参考になりました。ありがとうございました。